船 エンジン 歴史 4

船舶用のエンジンは1ヶ月以上休むことなく連続運転することもあり、耐用年数が20年以上であることを考えると、その信頼性の高さが分かります。 このような大出力機関は大型コンテナ船などに多く採用さ … なお、英文表記の航海日誌上では、she(女性扱い)で表記される。, 船舶は用途によって商船、漁船、軍艦、特殊船などに分類され、商船は旅客船と貨物船に分類される[8]。, 漁業に用いる船舶。近海用と遠洋用、また漁獲する水産物の大きさや量によって、船の大きさはさまざまである。, 軍事用船舶を指す。大きさ、形態、武装はその用途により様々である。国連海洋法条約によれば保有国が武装に関わらず自国海軍の艦艇であると認めたもの。ただし、海軍の艦艇であっても戦闘に直接寄与しない補助艦艇であれば軍艦でないとされる場合がある。日本では軍艦の管轄官庁は国土交通省だけでなく、防衛省でもある。, 日本語では軍事組織の船舶を指す言葉として『艦』を用い、自衛隊や外国軍の使用する船舶に対して使われる。なお警察や沿岸警備隊(海上保安庁)が利用する船舶には使われない。, 船は船体の主な材料で木造船(木造艇)、アルミ船(アルミ艇)、繊維強化プラスチック(FRP)船、先進複合材料(ACM)船などに分類される[11]。, 船は動力により動力船(動力艇)、帆船(帆艇)、手漕ぎ舟(手漕ぎ艇)などに分類される[11]。, アフリカ、ザンジバルのen:Swahili coast付近で今も実用的に用いられているダウ船, なお、公有船・私有船の概念は後述の公用船・私用船の概念とは異なるものである(通説)[3]。, 海上運送法では、旅客定期航路事業を行う旅客定期船、貨物定期航路事業を行う貨物定期船、自動車航送貨物定期航路事業を行う自動車航送貨物定期船、不定期航路事業を行う不定期船に分けられる[8]。, 船舶安全規則では、平水区域(湖、川、港内およびこれらに接続する指示された水域)のみ航行できる平水航路船、沿海区域(陸地から距岸20海里以内の水域)のみ航行できる沿海航路船、近海区域(東経175度、東経94度、北緯63度、南緯11度に囲まれた水域)のみ航行できる近海航路船、すべての水域を航行できる遠洋航路船に分けられる[8]。, 日本標準商品分類では船舶(分類番号50)は商船(分類番号501)、特殊用途船(分類番号502)、漁船(分類番号503)、艦艇(分類番号504)に分類される(このほか分類番号506以下に軸径及びプロペラ、分類番号507以下に舶用補機、分類番号508以下に航海用機器、分類番号509以下にぎ装品が定められている)[13]。, 船舶の歴史を扱う場合に、しばしば、ある時代、ある地域に一般的であったり、大量に製造された船のタイプを指すための分類名が登場する。すべての船舶を網羅的に分類するためのものではなく、特徴的なタイプを分類したものであるが、これも分類の一種であるので、それもここで紹介する。, 船の起こりは、水辺にすむ人々が木の枝を束ねて荷物をのせたり、人が乗ったりするようになったことに始まるといわれている[14]。やがて工夫や改良により丸太を組みあわせたいかだや、丸太をくりぬいた丸木舟が用いられるようになった[14]。スコットランドで150例、日本で200例などの先史時代の丸木舟の発見例があり、その他獣皮を張った船体に防水を施したシーカヤックに類するものなども存在したと考えられている。, 丸太が手に入らない地域では竹やアシが材料になり、動物の皮を縫い合わせて空気を入れていかだにした例もある[14]。, これらの方法は波に弱く大きな船の建造は困難であったが、紀元前4000年ぐらいには船の骨組みを作ってから板を張った組立船が造られるようになった[14]。, 古代エジプト時代のつぼに船の絵が描かれており、ナイル川で使われていたとみられているが、パピルスのいかだから発展した継ぎ剥ぎ構造と推定され、この時代の船は海洋での使用には適さなかったとされている。紀元前4,000年頃にはエジプト・ナイル川流域の他、チグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミアでも帆走船が使われていた形跡が残っている。モンゴロイドがアウトリガー付きカヌーで帆走を始めて、東南アジアの島々に広がり始めたのは、紀元前3,000年頃であり、フィジーには紀元前1,500年頃に達したと考えられているが、モンゴロイドの拡散以前の紀元前4,000年頃にはオーストロネシアンとモンゴロイドの混血であるメラネシア人がソロモン、バヌアツ、フィジー、ニューカレドニアの各島々への拡散しており[10]、日本では紀元前4,000年頃(縄文時代前期)の外洋での航海が可能な大型の丸木舟の出土例がある。紀元前4,000年頃から紀元前1,000年頃にはエジプト人やタレス人が地中海に乗り出していた。フェニキア人はアラビア海にも乗り出し、船による交易の範囲が広がっていった。, ギリシャ時代には、帆走船やガレー船が使われ、ローマ時代には、1世紀頃にヒッパロスがインド洋の季節風を利用したアラビア半島からインド南岸までの航路を開いた後はローマ - インド間の海上交易が行われた。, 8-10世紀にはヴァイキングと呼ばれたノルマン人たちが独特の丈夫な船を駆って西ヨーロッパの海を支配していた。, 一方、日本では、600年からの遣隋使船、618年からの遣唐使船も日本にとって発達した航海術を吸収する機会であったが、1401年からの勘合による日明貿易が開始され、これらの船(遣明船)には羅針盤が備わるなど確実な進歩を遂げていった。中国の鄭和の艦隊が15世紀、30年間に渡って中国沿岸からインド洋を席巻していた。中国の海洋進出が途絶えた後も、東南アジアからインド経由でヨーロッパに至る海のシルクロードが、商人と船乗りの手で長期に渡り維持された。, ヨーロッパでは、それまでのガレー船のラティーン・セイル(三角帆)に加えて、ヴァイキング船の横帆を取り入れた「キャラック船」を生み出した。15世紀初頭にはポルトガル人が、ラティーン・セイルと横帆を持つ小型の「キャラベル船」を生み出し、「エンリケ航海王子」の支援も受けて、外洋への航海に乗り出していった。, 16世紀にはキャラック船を元にガレオン船が登場し、大航海時代になった[10]。ガレー船は18世紀末まで地中海で、北欧のバルト海では19世紀初頭まで使用された。1807年にロバート・フルトンが作った外輪蒸汽船がニューヨークとオリバニー間で運航を開始した後は、多数の帆船に蒸気機関が搭載され、また、帆船も港での操船は蒸気エンジンを備えたタグボートに任せることができるようになったため、外洋航行に最適化した高速大型帆船が作られ、「クリッパー」と呼ばれる高速帆船も登場した。1858年に英国人アイザム・K・ブルーネルが発明したスクリュープロペラを備えた外洋定期客船「グレート・ブリテン」が作られた。英海軍が海上公開実験によってその性能を確認し、軍艦の標準としたため、各国海軍もそれに倣った。海底ケーブル網が充実した1860年代から、軍艦だけでなく商船でも、航行スケジュールが確実な蒸気船が帆船を駆逐するようになっていった。スエズ運河は開通してから当分の間、通行可能な船のサイズに制限があったり、運賃が高かったりして、商船がしばしば利用を敬遠した。, この後、多数の蒸気船が登場して徐々に海運の主役となった。1892年のディーゼルエンジンの登場によって多くの大型船舶が内燃機関を備えるようになった。, 帆船は今日でも練習船や競技用ヨットなどとして用いられているが、多くがエンジンを備えた汽船である。, 日本の先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどである。その中には1989年に東京都北区上中里の中里遺跡で発見された全長5.79mの丸木舟や、1995年に千葉県香取郡多古町で発見された全長7.45mの丸木舟など大型のものの出土例もある。また1998年に京都府舞鶴市の浦入遺跡で出土した丸木舟は、現存長は4.4mであるが、幅85cm、長さ8m以上あったと推測され、一本の巨木を刳り抜いた堅牢なモノコック構造の刳舟であり、縄文時代前期には外洋での航海が可能な丸木舟が存在した。, 縄文時代以後も日本船はモノコック構造の刳舟が主流であった。古墳時代以後の大型の刳舟の出土例は大阪湾周辺に多く、単材刳舟ばかりではなく複材化した準構造船と呼べるものも出土している。単材刳舟としては大阪市西淀川区大仁町鷺洲で古墳時代のものと推定される全長11.7mの刳舟が出土しており、複材刳舟のうち前後継ぎのもの出土例として、大阪市今福鯰江川の三郷橋(現・城東区今福西1丁目)で大正6年(1931年)5月に全長13.46m、全幅1.89mの刳舟が、同市浪速区難波中3丁目の鼬川で明治11年(1878年)に残存長12m程の刳舟がある。他に天保9年(1838年)愛知県海部郡佐織町(現・愛西市)で出土した前後継ぎの刳舟は残存していた長さが十一間二尺 (20.6m) あったといわれている。, 室町時代の後期から江戸時代初期にかけて安宅船などが、軍船として用いられた。 江戸時代初期の1604年から1635年の間は朱印船貿易が行われ、そのための船として中国等の海外だけでなく日本国内においても600人乗り、貨物積高2,500石(約375トン)のものが建造されていた。, 江戸時代初期の1635年には「大船建造禁止令」が施行され、船の500石積以上の建造が禁止されることになる。ただし、これはすぐに商船は対象外になる。鎖国を行った為に、外航船を建造する必要が無くなった日本では軍船は関船が、商船は帆走専用に改良された弁才船が中心となった。特に後者は江戸時代の近海海運を大いに発展させた。, 鎖国以前には徳川家康の命によってウィリアム・アダムス(三浦按針)が建造した2隻の小型ガレオン[注 6]や、慶長遣欧使節団のサン・ファン・バウティスタ号などの例がある。, ペリー来航から3か月後の1853年9月に、大船建造禁止令が大名に対して解除された。同時に幕府の手で浦賀造船所の建設が開始され、翌年には最初の西洋式軍艦の木造帆船「鳳凰丸」を竣工した。水戸藩も1853年に江戸隅田川河口に石川島造船所の建設を始め、薩摩藩の桜島造船所や加賀藩の七尾造船所が次々と開設された。, 1854年、ペリー来航の翌年に通商を求めて日本に来たロシアのディアナ号が下田で安政東海地震の津波により大破の後、嵐に遭い沈没、多くの船員が日本に取り残された(下田で座礁したという情報も複数あり)。当時、日本では外航に耐える船を持たず、これらのロシア船員は船を作らなければ帰れなかったため、君沢郡戸田村(現・沼津市)の日本人を指導して2本マストのスクーナー「ヘダ号」を作り上げた。その後、幕府は同型船多数の建造を命じ、君沢形と命名した。この西洋式造船を実地で指導されながら学んだ経験は、今日の日本造船業にとって近代船建造の礎となった。, 1855年、幕府はオランダ人技師から大船建造と鋳砲製造の技術を習得することを目的に、「海軍伝習所」を長崎に開設した。幕府は1857年には長崎の飽の浦に溶鉄所の建設を開始し、1861年に長崎製鉄所(現三菱重工長崎造船所)として開所させた。1865年には横須賀・横浜製鉄所が着工され、その後、国内最大の横須賀海軍工廠となった。横須賀海軍工廠では、フランス人技師の指導を受けて木造船から鉄鋼船へ技術の切り替えが行われ、1890年に最初の全鋼鉄軍艦「八重山」(常備排水量1,609トン)が完成した。江戸湾に設けられた石川島造船所はその後の石川島播磨重工の、浦賀造船所は浦賀重工業を経て住友重機械工業の礎となった。, 1861年、7月26日(旧暦)。これまで幕府により禁止されていた大型船の建造と外国商船の購入が民間に許可される[15]。, 1865年、日本で初めての外輪蒸気船「凌風丸 (佐賀藩)」(10馬力)が佐賀藩により建造され、この年に進水する[16]。, 1890年には三菱造船所で最初の全鋼鉄船「筑後川丸」(694総トン)が建造された。1896年には造船奨励法と航海奨励法が公布され、1897年には船舶検査法も施行された。この頃、多数の国内外新規航路が開設された。1898年には、それまでの平均的な国内造船能力であった1,500総トン級を大幅に上回る、「常陸丸」(6,172総トン級)が三菱造船所で完成された[注 7][17]。, 太平洋戦争によって日本は商船の80%を失った。しかし、造船業と海運業は他の多くの産業同様に終戦直後から着実な復活を開始した。, 終戦時にはGHQによって造船能力を年15万トンに制限され、100総トン以上の全ての船がGHQの管理下に入れられたが、1947年からは規制が順次緩められ、1950年の朝鮮戦争と1956年の第二次中東戦争(スエズ動乱)をきっかけに日本に長期の造船ブームをもたらした。, 1946年、日本郵船は終戦以後の早い段階からGHQの許可を得て、貨客船「氷川丸」の太平洋定期航路が再開された。, 1951年のサンフランシスコ講和条約以後は、米アメリカン・プレジデント・ライン社 (APL) の「プレジデント・クリーブランド」(15,973総トン)と「プレジデント・ウィルソン」(12,597総トン)によって米国シアトルとの定期客船航路が開設された。, 1952年と1953年には大阪商船会社(現商船三井の母体の1つ)が2隻の南米移民用外航貨客船「さんとす丸」(1952年、8,515総トン)と「あめりか丸」(1953年、8,354総トン)を使って南米航路を再開した。その後、2代目「ぶらじる丸」(1954年、10,100総トン)、「あるぜんちな丸」(1958年、10,863総トン)、「さくら丸」(1962年、12,628総トン)などの5隻の外航貨客船によって日本 - 香港と日本 - 北米の航路が再開された。, 1964年の東京オリンピック以降は、航空機による海外渡航が一般化したため旅客輸送需要は激減し始めた。南米航路も移民の減少と共に需要は減少した。日本に限らず世界的に、これ以降は客船としての船舶の需要は低下を続け、一部のクルーズ船を除けば外航航路の客船は消滅していく。, 代わって世界中で海上輸送の需要が増加を続け、戦前戦中の造船技術を背景にブロック工法のような新たな造船技術の開発によって世界の造船業における地位を確実なものにしていった。1956年には英国を抜いて世界一の造船量となり、1975年には世界の造船量の50%を越える量を世界の海に送り出した。, 1950年代から始まった高度経済成長によって、海運業においても大型石油タンカーや大型コンテナ船のような船が多数登場し、自動車運搬船、鉱石運搬船、LNGタンカーも次々と作られ海外航路に投入されていった。また、内航航路でも大型カーフェリーが多数登場した。, 日本でのこの増船の波は、1973年からの第一次オイルショックによって日本経済が停滞した数年後の1977年をピークに下降線をたどった。特に需要の減った石油タンカーは契約キャンセルされるなど造船需要が激減すると同時に、1980年の貨載量56.5万トンを最後に巨大化に終止符が打たれた。, 日本の船会社が運航する日本籍船の船数は1972年から減少を続け、代わりに外国船籍の船を日本の船会社が借りて運航するようになっている。1978年に外国船籍の船数が日本船籍の数を越えて以後は、日本船籍が減り続け、2006年の統計データではついに95隻で、日本の船会社が運航する全2,223隻の4%にまでなった。, このように、日本の船会社が日本船として登録を避ける原因は主に、高い税金(登録免許税、固定資産税)、最低2名の日本人乗員の乗組み規定、国際条約での規定を超える日本独自の高いレベルの設備・検査規定などがある[18]。, 各船舶は、古来、一艘一艘(一杯一杯)、それぞれ固有の名称(船名)を与えられ、その後、固有の国籍(船籍)を持たされるなど、擬人的な取り扱いがなされてきた。, 各国の船舶関連の法規において、船主両舷および船尾に船名を表記するように定められている。IMOの規則では、IMOナンバーも併せて明記し、船籍港も明記し、各文字の高さは最低でも4インチなければならない[19]。, 英語圏では蒸気船では船名の前に steam ship の意味で艦船接頭辞「SS」をつけることがあり、21世紀の現在では SS は主機関が蒸気タービンであることを意味している。同様に、ディーゼルエンジン船では船名の前に motor ship の意味で「MS」をつけることがある。同様に「M.V. 同機関の熱効率は50%で、全世界で就航中の船で記録的な低燃費を誇っていました。この船の機関プラントでは、「常盤山丸」で使用したものよりも進歩した排熱回収発電システム(Advanced Turbo Generating System)や軸発電機などを採用しました。, 当時から機関プラントにおける省エネ技術は多く存在し、燃料の持つ熱エネルギーの70%近くまで有効に利用されるまでに技術が進歩していました。 (motor vessel)」「S.V. 現在の外航海運主機関は、ほとんどが2サイクル過給機関となっています。, 昭和30年代、乗組員の減員を志向する動きと共に、船舶のオートメーション化という課題に新技術を積極的に取り入れることで挑みました。昭和36年(1961年)、世界最初の機関室自動化船として「金華山丸」が竣工。機関室の集中監視計測や船橋からの主機操縦など、自動化が可能になりました。, 昭和40年代から船型の巨大化や貨物船の分化・多様化が急速に進み、多種類の専用船が建造され始めました。素材産業のベルトコンベヤーの役割を海運が果たすようになったり、また自動車輸出のために新機軸の専用船が出現したりするなど、質量ともに大変革を遂げた時期でした。, 巨大化が最も急速かつ大規模に進んだのは、タンカーです。昭和46年(1971年)、タンカーの「三峰山丸」は22万トンまで巨大化しました。主機関も大出力化され、当時世界最大のディーゼル主機関(38,000馬力)を搭載。 高い運航効率を実現した技術と革新性から、シップ・オブ・ザ・イヤー2007を受賞しました。, 省エネと大型化を追求してきた舶用エンジン。 鉄鋼原料需要増大に応えて、鉄鉱石専用船の巨大化も進みました。昭和47年(1972年)、16万トンを超える大きさの鉄鉱石専用船「千鳥山丸」が竣工しました。, 大型化の半面(省エネがこれほど強く叫ばれるようになる以前から)、新造船の建造計画のたびに当社はその時代で考え得る最良の省エネ船を指向してきました。 しかし船自体が世界最大の大きさなので、エンジンも相当に強力なものではありました。(タイタニックのエンジン出力56000馬力は当時,ルシタニア級の72500馬力に次ぐものでした。 同時に大型貨物船を推進するエンジンも発達しました。, イギリスで明治7年(1874年)、世界最初の三連成蒸気機関を装備した船が竣工し、そのわずか4年後の明治11年(1878年)、同機関を採用した当社最初の保有船「秀吉丸」が竣工しました。「秀吉丸」は福岡県三池港から長崎県口之津港への、三池炭輸送に使用されました。, 内航での国内最初の大型ディーゼル商船「音戸丸」と、外航で国内最初のディーゼル商船「赤城山丸」が、大正13年(1924年)に竣工しました。 省エネ装置の一つが、主機からの排気熱エネルギーを回収することにより蒸気発電機を駆動し、ディーゼル発電用の燃料をセーブできるシステムです。これは昭和40年(1965年)に竣工した「常盤山丸」へ他の邦船社に先がけて採用して以来、数多くの当社新造船に採用しました。 船(ふね、舟、舩、英: vesselあるいはboatあるいはship)は、人や物をのせて水上を渡航(移動)する目的で作られた乗り物の総称[1]。船(船舶)は浮揚性・移動性・積載性の三要素をすべて満たす構造物をいう[2]。, 基本的には海、湖、川などの水上を移動する乗り物を指しているが、広い意味では水中を移動する潜水艇や潜水艦も含まれる。動力は人力・帆・原動機などにより得る。, 大和言葉の「ふね」「フネ」は広範囲のものを指しており、規模や用途の違いに応じて「船・舟・槽・艦」などの漢字が使い分けられている。船舶(せんぱく)あるいは船艇(せんてい)などとも呼ばれる(→#呼称参照)。, なお、宇宙船や飛行船などの水上以外を航行する比較的大型の乗り物も「ふね」「船」「シップ」などと呼ばれる。これらについては宇宙船、飛行船などの各記事を参照のこと。また舟に形状が似ているもの、例えば刺身を盛る浅めの容器[1]、セメントを混ぜるための容器(プラ舟)等々も、その形状から「舟」と呼ばれる[注 1]。これらについても各記事を参照のこと。, 船体が水を押しのけることでアルキメデスの原理が働き、船は浮力を得る。船の歴史は(カヌーも含めれば数万年で)数千年以上におよぶが、推進力を得るには、古代から中世まで、小さな筏やカヌーでは「櫂」(オール、パドル)が用いられ、また帆(セイル)が用いられた。船の長い歴史のほとんどの期間は、推力は櫂や帆によって得ていたのである。18世紀末ごろにようやく蒸気船が登場し、当初は推力は、一般的には「外輪」(がいりん)を使って水を後方に「蹴る」ように押し出すことで得た(外輪船)。19世紀末に(つまり、わずか百数十年ほど前に)ディーゼルエンジンが船にも積まれるようになり、エンジン船では(外輪ではなく)スクリュープロペラが主流となった。最近では地球温暖化や環境問題が考慮され、(コンピュータ制御などの新しい技術も併用した)帆船の再研究が行われるようになっている。#歴史, なお、水上を移動するための乗り物の中には、ホバークラフトのように、アルキメデスの原理は用いず、空気を取り込む大きなプロペラ、「スカート」(エアクッション)を用いて表面効果を利用して、水上を滑るように進む乗り物もある(これも、広義の船舶に含めることがある)。また水上機や飛行艇のように飛行機の機能と船の機能を組み合わせた(ハイブリッド的な)乗り物も存在する。これらは基本的には「航空機」に分類されるが、航空機と船舶の中間的な存在である[注 2]。, 船舶は、大きく分けると、船体(主たる、容器状の構造体)および艤装(船に付属する装備品や備品類)から成る。, 古代エジプトの(紀元前1200年ころの)船。推力として、セイル(帆)とオール(櫂)を併用していた例。「舵」は船の船尾の横側(船側)から水中に差し込むように用いられている。もともと舵は、長くて大きな櫂のようなもので、それを水中に差し込んで舵としていたのである。, 15世紀ころのポルトガルで多用されたキャラベル船。もっぱら帆で推力を得ている船。 帆船には「マスト」とセイルが伴う。セイルを用いて航海することや、セイルを用いた操船技術体系を「セイリング」と言う。, 20世紀の、推力をもっぱらディーゼルエンジンで得ている船(内燃船)の一例と、各部位の名称1.煙突 2.船尾 3.スクリュープロペラ 4.船体(左舷側) 5.錨 6.球状船首 7.船首 8.上甲板 9.船橋。ディーゼルエンジンなので、排ガスが相当に汚れていて、「煙突」が必要。, 船体が通常進む方向(進行方向)を見て、先端に当たる部分を「船首」(英語では「バウ」)と言う。反対に、進む方向を見て「後ろ」の端に当たる部分を「船尾」(英語:スターン)と言う。進行方向に向かって右側の側面を「右舷(うげん)」と言い、左側の側面を「左舷(さげん)と言う。船体の上面の平らな面を「(上)甲板(かんぱん)」(英語:デッキ)と言う。, 艤装(ぎそう、rig、rigging、outfitting(s))には2つの意味がある。, 総称として「艦船」(かんせん)、「艦艇」(かんてい)、「船艇」(せんてい)、あるいは「舟艇」(しゅうてい)などの言い方をする場合もある。, 英語では日常的にはboatやshipが用いられ、「boat」(ボート)は比較的小型のものを指し、あえて言えば日本語の「舟」や「艇」に相当する。だが日本人が「結構 大きい」と感じるようなものまで 英語圏では「boat」と呼ばれていることがある。「ship」(シップ)はboatに比べて大型のものを指し、あえて言えば「船」や「艦」に相当する。boat / shipは感覚的な呼び分けがされているのであって、厳密な線引きがあるわけではない。「vessel」は(やや学術用語や行政用語的な表現であり) boatの中の大き目のものおよびshipを指し[7]、(ぴったりの日本語語彙は無いが)あえて言えば「船舶」や「船艇」に相当する。, 従来、英語では民間船・軍艦共に代名詞はshe(女性扱い)であって、これに対し飛行機では民間機がshe、軍用機がhe(男性扱い)であるが、最近は、このような用法が少なくなって、他の一般名詞と同様にitを使用することがある。「ふね」を表す性についても、各言語によって異なり一様ではない。 このような大出力機関は大型コンテナ船などに多く採用されています。, 最近では船舶用の大型ディーゼル機関の分野においても、電子制御機関の導入が急速に進んでいます。電子制御を採用することにより、シリンダーへの燃料噴射タイミング、排気ガスを排出する排気弁開閉タイミングやシリンダ注油タイミングを適切に調整できます。

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